※思いっきりネタバレ&私的見解満載です
The GazettE 『DOGMA』の「GRUDGE」がゴーン・ガールの影響のできた作品だということでウィキペディアを参照するも、解説の一部「エイミーに家に帰ってきてほしいと訴える。彼の話で世間の印象が変わり始め、エイミーの彼に対する想いが再び芽生え始める。」がライトノベル的な発想すぎて、感情が理解できない。ちょうどWOWOWの放送があったので録画して視聴。それでも曖昧で理解しにくい部分があったので原作をざっくり読む。やはり手抜きをせず原本を確認しなきゃだめだねということで私的感想。(ネタバレ注意)。
ゴーン・ガール/GONE GIRL
(あらすじ)略 Yahoo!映画 「ゴーン・ガール」リンク
■わたし的ストーリーまとめ:
GONE [逝った、イカれた、怒れる、消えた] [女]GIRL
GONE [逝った、イカれた、怒れる、消えた] [女]GIRL
自分を完璧な主人公にした絵本「アメージング・エイミー」で有名になった絵本作家の母をもつエイミーは母親が自分に求める絵本の中の理想像「アメージングエミリー」とのギャップに苦しむ。母親が自分に求める理想の姿に近づくべく努力を重ねても、母親の虚栄心を満たすことはできない。エイミーが少女から女性に変わり、社会人になってもなお理想を押し付け支配し続ける毒親。母の支配応える生きづらさから解放されることを望み、生活環境のちがうニックに期待して結婚する。
しかし、生活をともにすると当初のときめきは消えニックの冴えなさなさが目につき、だんだん物足りない存在になっていく。自分の中に刷り込まれた母親の価値観を拭い去ることはできないのだ。ニックもまた自分たちの生活をコントロールしようとする母親の言動に違和感をいだく。お互いの生育環境、価値観、金銭感覚のズレに気が付きエイミーとの生活に嫌気が差し始める。
さらに リーマン・ショックによる失職やニックの両親の健康上の理由でニックが彼の両親の住む田舎へ移住を決めてしまう。話の合わない隣人、退屈な田舎生活、冴えないニックの両親との関係の中で ニックの平凡な素朴さも凡庸で退屈な人物像へと変化して、二人の価値観の溝が如実になっていく。結婚生活に幻滅しながらも、懸命に生きるなかで発覚したニックの裏切り。エイミーはニックがアンディーと浮気し、エイミーとの離婚を考えることに気づく。才能を活かす華やかな都会生活を捨てて今の生活に耐えているエイミーとってそれは最大の屈辱でしかない。
▼エミリーがニックの元に戻った理由 =ウィキペディアの解説との相違=
「私はあなたの両親のためにニューヨークのキャリアも仕事も友人関係も捨てて、話の合う友人もいない田舎の生活を我慢しているのに私と離婚して若い女に乗り換えるとはどういう話!コノウラミハラサデオクベキカである」
「私はあなたの両親のためにニューヨークのキャリアも仕事も友人関係も捨てて、話の合う友人もいない田舎の生活を我慢しているのに私と離婚して若い女に乗り換えるとはどういう話!コノウラミハラサデオクベキカである」
ニックの思惑に気がついたエイミーはニックへの報復と復縁のための周到な罠をしかける。彼女は殺人現場を偽装し、ニックを「エミリー殺しの犯人」に仕立てあげ、失踪した自分自身は別人として生きる計画を実行する。マスコミはニックをソシオパスの殺人犯として疑いの目を向ける。しかしこの計画は思いがけない形で頓挫する。エイミーは居留先のモテルで知り合いになった女に所持金を奪われたのだ。資金を失ったエミリーはしかたなしに計画を変更し、自分の好意を持ち続けている資産家の元恋人ディックのところに身を寄せることにした。その家のTVでエミリーが目にしたのは世間の同情を買うように仕向けた会見報道であった。彼女の策略に気づいたニックは腕の良い弁護士を雇い、エミリーの謀略を逆手に自分の立場を回復しようとしていた。
このままではニックが世間から「可哀想なよき夫」としてエイミーから解放された生活をのうのうと手に入れることになってしまう。ニックの思惑を妨害するために古巣に戻る必要が生じたエイミーは邪魔になったディックを惨殺し、血まみれ姿でニックのところに帰還するのだ。
衝撃的なエミリーの帰還に狂乱するマスコミへの対応を終えたあと、ニックはエミリーから謀略の全貌を聞かされる。世間に真実を話すことを決意するニック。しかしニックはエイミーから自分の子どもを妊娠していることを告げられる。エミリーはニックの先手を打ち、精子バンクに保存してあったニックの精子で自らを妊娠させていたのだった。
ニックには「理想の夫婦」「アメージングファミリー」を演じるという逃げ場のない地獄しか残されていなかった。エイミーは隷属させ支配できる夫を手に入れ、ドメスティックディクテイター(家庭内独裁者)と化し母とを同じ道を歩き始める。
▼わたし的視点メモ
※以下、論理の組み立てが全然なってないけど真剣に書いたら半年以上かかるので雑記のみ。
不倫の結末
エミリーがやばい?狂気?鬼?
いやいや、悪女でもなんでもない 不倫されたの女性が実行したいことを映画化したまでのことです。
不倫をするなら相応の覚悟をしましょう。(笑)
なんていうのは感想の本筋ではない
愛情の飢餓感
虚栄心の強い母親にコントロールされた家庭で母親から理想化された自分を押し付けられ、愛情を感じることなく育てられたエイミー。理想の娘を演じ続け、子どもとして愛されることを知らずに育ったエイミーがニックに求めたものは異性に対する愛情ではなく、母親から得ることができなかった絶対的な安心感だったのではないか。
束縛することでしか愛情を感受できないPSYCHOPATHー
無条件に愛されたい願望が強いがゆえニックに対し絶対的な尊敬と愛情を求め、少しのズレも許せない。そして自分の支配から逃れようとする相手に対して徹底的に攻撃する。最終的には相手を困らせることで愛情の深さを確かめようとするアダルトチルドレン的な幼児性を感じる。
潜在する支配の連鎖の狂気性
「結婚とはそういうものよ」と言うエイミー。彼女の夫婦像、結婚観はまさに母から受け継いだものであり、エイミーの次の世代にも再生産され続けることを匂わせているところがこの映画の怖さでもある。
偏在する支配的依存
映画の中では極端な人物像が描かれているのでわかりやすい形になっているが、このような「支配的な愛情」は夫婦にかぎらず、親子や友人といった案外身近な関係にも潜在的に存在している。(キーワード:マウンティング、家庭内カーストなど)スマホをチェックするとか、返信をすぐ返さないといけないとか形式にこだわり、相手を束縛する関係性は信頼性の欠如であり、支配的な依存であることを疑ったほうがよい。
そういう相手とのかかわり合いは一考したほうがよいし、自分がそうである場合は自分の愛情の飢餓感が本来どこに向けられるべきものかを正しく知ったほうが楽に生きられるようになる。
(映画中でニックと2ショット写真をとって「私の勝手でしょ」とのたまう女がいたがそういうのも含め現代の人間関係のありかたがいびつになっていることへの警鐘も含んでいるのかもしれない。)
う~~ん まとまんないけど キリがないから ここでストップ
grazie