■It is not in the stars to hold our destiny but in ourselves.
「運命を握るのは星ではなく、自分自身である」
the GazettE REITA さんのブランドSNAKEDLOWS 第20弾のイメージ画像中に使われているテキスト
グーグル先生に聞けば、出典を教えてくれる。ウィリアム・シェイクスピア著『ジュリアス・シーザー(原題:ジュリアス・シーザーの悲劇)』(1623)の一節だと
日本だけでなく世界中でふつうに通用していて、ポスターなどインテリアにも使われているぐらい
しかし、シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』にこの一文はない。
シェイクスピアの原文に触れたことのある人なら多分上のテキストをシェイクスピアと言われたら違和感を覚えるじゃない?
内容はともかく文章にキレがないし、シェイクスピアの名言といえるほどのポテンシャルを感じない。なによりも文法の教科書のようにのっぺりと平凡すぎる。
■原文
上のテキストは『ジュリアス・シーザー』の第1幕第2場面にあるこの台詞(下記太線部分)が原文となっている。
■シェイクスピア作品の特徴
上のテキストに違和感を感じる要因として、シェイクスピア作品の特徴をざっくりとピックアップしてみる。
1)シナリオ形式
劇作家のシェイクスピアの著作物は脚本形式、つまり役者が話す台詞とト書きで構成されている。
2)韻律(リズム)
シェイクスピアの文体は独特の「韻律」(リズム)に基づいて構成されているのが特徴。(後世の英語の発展に影響を与えたといわれる)
3)現代英語との違い
シェイクスピア時代の英語は「初期近代英語」で現代英語と表記が異なる部分がある。
※書き込みが消しきれてなかった。
この辺から推察するとおそらくこの文章は「現代語訳」の一部なんだろうなとw
明治の文豪森鴎外の雅文体3作品(「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」)が現代語訳のものが出版されているように、初期近代英語で書かれているシェイクスピアの作品も現代英語に訳されてるんじゃないの?
で、「Shakespeare、moden English」でググるとシェイクスピア作品の現代語訳を載せているサイトが各種ヒットする。
ではこの文章「It is not in the stars to hold our destiny but in ourselves.」の出典がどこなのかは気になるところだが、残念ながらそれはわからない。
ウェブ上だけでなく、紙の本を加えたら莫大な数になりすぎて調べきれないww
しかし、イギリスの高級紙「インディペンデント」が同文をシェイクスピアの名言としてウェブ掲載しているぐらいなので、知名度が高い現代語訳なんでしょうね。
※高級紙:スポーツ新聞やゴシップ紙ではない一般的な新聞
このインデペンデント紙が出典元という見方もできるけど、 なんの注釈も載せていないのでその可能性は低そう。
むしろ注釈なしに引用しているから記者自身も原文でないことを知らないのかもしれない。
ただ、一部のシェイクスピアのマニアの方の中にはこの現代文に対して快く思わない人もいるにはいる。
同文を注釈なしに使用しているシェイクスピア研究者に対して、「誤用」だとして批判している方もいる。
https://www.tudorsociety.com/not-stars-hold-destiny-heather-r-darsie
音楽で例えるなら、サンプリングされた曲のクレジットを原曲者として紹介するような話。
シェイクスピア愛好家にとって、原文でない、つまり韻律を失った文章をシェイクスピアの作として紹介するのは研究者として由々しきことだと嘆くのも無理はないでしょう。
▼BBC "Julius Caesar by William Shakespeare "
動画の音声を聞いてもらうとわかると思うが、このリズム感がシェイクスピアの文体の特徴。
当該台詞は 09:50~より(スタート設定入)
Men at some time are masters of their fates.
The fault, dear Brutus,
is not in our stars but in ourselves,
that we are underlings.
※近年のクリアな映像の動画もあるが、こちらの動画は英語の韻律(リズム)が明瞭。さすがBBC様。
以下ネタバレを含みます。めんどくさくなったので端折った
世界的に人気のある名言「It is not in the stars to hold our destiny but in ourselves」
ローマを共和政から専制君主制に導いたシーザーの王たる意志の強さを物語る理念に満ちた一節だと捉える人も少なくないだろう。
しかし、これはシーザーの台詞ではない。そして、ブルータスの台詞でもない。これはキャシアスの台詞である。
■キャシアス、誰それ?
キャシアスはブルータスの義理の弟(妹の夫)である。ブルータスとは、そう、シーザーが暗殺される時の台詞で知られる「ブルータス、お前もか (Et tu, Brute?)」のブルータス。
「ブルータス、お前もか」この台詞だけを知っていると、ブルータスがシーザーの刺客だと思っている人は多いんじゃなかろうか。かく言う私自身作品を読むまではそう思っていた。
シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」について『「プルータスによるシーザーの陰謀と暗殺」を描いた作品』と説明している人がいたら、おそらくその人は作品を読んでいない。
実はブルータスはシーザー暗殺の首謀者ではない。シーザー暗殺の真の首謀者はブルータスの義理の弟キャシアスというのがシェイクスピアの脚本。
※先述した通りシェイクスピアは劇作家なので、史実を元にした演劇。脚色が入っているので事実とは限らない。
そして、原文「not in our stars but in ourselves」の下りは第1幕の第2場、お芝居が始まってわりとすぐの場面キャシアスがブルータスにシーザー暗殺をそそのかす台詞の一部である。
キャシアスはシーザーを消したかった。しかしキャシアスは人望がない自分がシーザーを暗殺したら自分の立場が危うくなるのがわかっていた。
なので高潔で皆からの信頼されている義理の兄ブルータスに「シーザーがローマの独裁者になろうとしている」とそそのかし、ブルータスを担ぎあげ、賛同者を募り暗殺計画を実行しようとしていた。
キャシアス曰く
「我々がシーザーに追従している限り、シーザーが専制君主になろうとするのを阻むことはできない。ローマの運命を変えるのは我々自身だ」とブルータスに決意を迫るのが上記の台詞なのである。
もっとカンタンに言うと
俺らが自分らをペーペーな人間だって思い込んで今の立場に甘んじている限り状況は悪くなっていくばかり、独裁者になるシーザーを倒してローマを救えるのは俺らだと。
英雄シーザーが悟りを開いた台詞かと思いきや、実は陰謀を図る側の下剋上的な発言だった
同じ台詞でも「誰が発した言葉か」によって印象も意味合いも全く異なってくるというww
名言や格言が独り歩きししているのは、意外とこれだけじゃないかもしれないなぁ
この作品を何十年ぶりかに読み直したんだが、共和政ローマからローマ帝国時代に移行する混迷する社会が今と重なりすぎていてツライし、
自分が欲しがってる言葉を発する政治家のキャッチーな煽動にのせられ、本質を見抜こうとしない民衆など
まさにそう、それな状態
シェイクスピアの時代から500年近く経ったのに人間進歩してないww
今回そこから他のシェイクスピアの作品もいくつか読み直してみているんだが、
学生時代に読んだ時は「こういう人物いるだろうね」と概念で理解した話だったけど
そこそこ人生経験積んだ今読み直すと「この登場人物、あの人っぽい」とリアルな人間が苦々しい感情とともに思い浮かんできたりして、
シェイクスピアの心理描写ってチゲーなと
まさか、SNAKEDLOWSきっかけでシェイクスピアの筆致のすばらしさを再確認することになるとは思わなかったww
この機会を与えてくれたSNKDに感謝ぁ
5/27の下書きからの投稿
思ったこと全部書こうとしたけど、無駄に長くなるので諦めた30日目
grazie
「運命を握るのは星ではなく、自分自身である」
the GazettE REITA さんのブランドSNAKEDLOWS 第20弾のイメージ画像中に使われているテキスト
グーグル先生に聞けば、出典を教えてくれる。ウィリアム・シェイクスピア著『ジュリアス・シーザー(原題:ジュリアス・シーザーの悲劇)』(1623)の一節だと
日本だけでなく世界中でふつうに通用していて、ポスターなどインテリアにも使われているぐらい
しかし、シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』にこの一文はない。
○The Complete Works of William Shakespeare
http://shakespeare.mit.edu/index.html
シェイクスピア作品の原文のアーカイブサイト
http://shakespeare.mit.edu/index.html
シェイクスピア作品の原文のアーカイブサイト
シェイクスピアの原文に触れたことのある人なら多分上のテキストをシェイクスピアと言われたら違和感を覚えるじゃない?
内容はともかく文章にキレがないし、シェイクスピアの名言といえるほどのポテンシャルを感じない。なによりも文法の教科書のようにのっぺりと平凡すぎる。
■原文
上のテキストは『ジュリアス・シーザー』の第1幕第2場面にあるこの台詞(下記太線部分)が原文となっている。
■The Tragedy of Julius Caesar
― William Shakespeare
(Act 1, scene 2, L.135–141)
Men at some time are masters of their fates.
The fault, dear Brutus,
is not in our stars but in ourselves,
that we are underlings.
― William Shakespeare
(Act 1, scene 2, L.135–141)
Men at some time are masters of their fates.
The fault, dear Brutus,
is not in our stars but in ourselves,
that we are underlings.
■シェイクスピア作品の特徴
上のテキストに違和感を感じる要因として、シェイクスピア作品の特徴をざっくりとピックアップしてみる。
1)シナリオ形式
劇作家のシェイクスピアの著作物は脚本形式、つまり役者が話す台詞とト書きで構成されている。
2)韻律(リズム)
シェイクスピアの文体は独特の「韻律」(リズム)に基づいて構成されているのが特徴。(後世の英語の発展に影響を与えたといわれる)
3)現代英語との違い
シェイクスピア時代の英語は「初期近代英語」で現代英語と表記が異なる部分がある。
※書き込みが消しきれてなかった。
この辺から推察するとおそらくこの文章は「現代語訳」の一部なんだろうなとw
明治の文豪森鴎外の雅文体3作品(「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」)が現代語訳のものが出版されているように、初期近代英語で書かれているシェイクスピアの作品も現代英語に訳されてるんじゃないの?
で、「Shakespeare、moden English」でググるとシェイクスピア作品の現代語訳を載せているサイトが各種ヒットする。
ではこの文章「It is not in the stars to hold our destiny but in ourselves.」の出典がどこなのかは気になるところだが、残念ながらそれはわからない。
ウェブ上だけでなく、紙の本を加えたら莫大な数になりすぎて調べきれないww
しかし、イギリスの高級紙「インディペンデント」が同文をシェイクスピアの名言としてウェブ掲載しているぐらいなので、知名度が高い現代語訳なんでしょうね。
※高級紙:スポーツ新聞やゴシップ紙ではない一般的な新聞
○INDEPENDENT
ウィリアム・シェイクスピア生誕400年記念
William Shakespeare quotes: The Bard's most powerful words of wisdom
Jess Denham Thursday 21 April 2016 17:50
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/william-shakespeare-quotes-400th-anniversary
ウィリアム・シェイクスピア生誕400年記念
William Shakespeare quotes: The Bard's most powerful words of wisdom
Jess Denham Thursday 21 April 2016 17:50
From laying bare the futility of our existence in Macbeth (“a tale told by an idiot, full of sound and fury, signifying nothing”) and ・・・・中略・・・・ and urging us to take control of our dreams in Julius Caesar (“it is not in the stars to hold our destiny but in ourselves”, Shakespeare’s grasp on the English language is arguably still peerless.
https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/william-shakespeare-quotes-400th-anniversary
このインデペンデント紙が出典元という見方もできるけど、 なんの注釈も載せていないのでその可能性は低そう。
むしろ注釈なしに引用しているから記者自身も原文でないことを知らないのかもしれない。
ただ、一部のシェイクスピアのマニアの方の中にはこの現代文に対して快く思わない人もいるにはいる。
同文を注釈なしに使用しているシェイクスピア研究者に対して、「誤用」だとして批判している方もいる。
https://www.tudorsociety.com/not-stars-hold-destiny-heather-r-darsie
音楽で例えるなら、サンプリングされた曲のクレジットを原曲者として紹介するような話。
シェイクスピア愛好家にとって、原文でない、つまり韻律を失った文章をシェイクスピアの作として紹介するのは研究者として由々しきことだと嘆くのも無理はないでしょう。
▼BBC "Julius Caesar by William Shakespeare "
動画の音声を聞いてもらうとわかると思うが、このリズム感がシェイクスピアの文体の特徴。
当該台詞は 09:50~より(スタート設定入)
Men at some time are masters of their fates.
The fault, dear Brutus,
is not in our stars but in ourselves,
that we are underlings.
※近年のクリアな映像の動画もあるが、こちらの動画は英語の韻律(リズム)が明瞭。さすがBBC様。
■発話者の正体
ー文脈が違うと意味が変わる?
ー文脈が違うと意味が変わる?
世界的に人気のある名言「It is not in the stars to hold our destiny but in ourselves」
ローマを共和政から専制君主制に導いたシーザーの王たる意志の強さを物語る理念に満ちた一節だと捉える人も少なくないだろう。
しかし、これはシーザーの台詞ではない。そして、ブルータスの台詞でもない。これはキャシアスの台詞である。
■キャシアス、誰それ?
キャシアスはブルータスの義理の弟(妹の夫)である。ブルータスとは、そう、シーザーが暗殺される時の台詞で知られる「ブルータス、お前もか (Et tu, Brute?)」のブルータス。
「ブルータス、お前もか」この台詞だけを知っていると、ブルータスがシーザーの刺客だと思っている人は多いんじゃなかろうか。かく言う私自身作品を読むまではそう思っていた。
シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」について『「プルータスによるシーザーの陰謀と暗殺」を描いた作品』と説明している人がいたら、おそらくその人は作品を読んでいない。
実はブルータスはシーザー暗殺の首謀者ではない。シーザー暗殺の真の首謀者はブルータスの義理の弟キャシアスというのがシェイクスピアの脚本。
※先述した通りシェイクスピアは劇作家なので、史実を元にした演劇。脚色が入っているので事実とは限らない。
そして、原文「not in our stars but in ourselves」の下りは第1幕の第2場、お芝居が始まってわりとすぐの場面キャシアスがブルータスにシーザー暗殺をそそのかす台詞の一部である。
キャシアスはシーザーを消したかった。しかしキャシアスは人望がない自分がシーザーを暗殺したら自分の立場が危うくなるのがわかっていた。
なので高潔で皆からの信頼されている義理の兄ブルータスに「シーザーがローマの独裁者になろうとしている」とそそのかし、ブルータスを担ぎあげ、賛同者を募り暗殺計画を実行しようとしていた。
CASSIUS:キャシアス:
Men at some time are masters of their fates.
人は時として運命の主人となる
The fault, dear Brutus,
ブルータスよ、失敗とは
is not in our stars but in ourselves,
that we are underlings.
我々が生まれ落ちた運命にあるのでなく、
誰かの下々の立場に甘んじている我々自身にあるのだと。
Men at some time are masters of their fates.
人は時として運命の主人となる
The fault, dear Brutus,
ブルータスよ、失敗とは
is not in our stars but in ourselves,
that we are underlings.
我々が生まれ落ちた運命にあるのでなく、
誰かの下々の立場に甘んじている我々自身にあるのだと。
キャシアス曰く
「我々がシーザーに追従している限り、シーザーが専制君主になろうとするのを阻むことはできない。ローマの運命を変えるのは我々自身だ」とブルータスに決意を迫るのが上記の台詞なのである。
もっとカンタンに言うと
俺らが自分らをペーペーな人間だって思い込んで今の立場に甘んじている限り状況は悪くなっていくばかり、独裁者になるシーザーを倒してローマを救えるのは俺らだと。
英雄シーザーが悟りを開いた台詞かと思いきや、実は陰謀を図る側の下剋上的な発言だった
同じ台詞でも「誰が発した言葉か」によって印象も意味合いも全く異なってくるというww
名言や格言が独り歩きししているのは、意外とこれだけじゃないかもしれないなぁ
この作品を何十年ぶりかに読み直したんだが、共和政ローマからローマ帝国時代に移行する混迷する社会が今と重なりすぎていてツライし、
自分が欲しがってる言葉を発する政治家のキャッチーな煽動にのせられ、本質を見抜こうとしない民衆など
まさにそう、それな状態
シェイクスピアの時代から500年近く経ったのに人間進歩してないww
今回そこから他のシェイクスピアの作品もいくつか読み直してみているんだが、
学生時代に読んだ時は「こういう人物いるだろうね」と概念で理解した話だったけど
そこそこ人生経験積んだ今読み直すと「この登場人物、あの人っぽい」とリアルな人間が苦々しい感情とともに思い浮かんできたりして、
シェイクスピアの心理描写ってチゲーなと
まさか、SNAKEDLOWSきっかけでシェイクスピアの筆致のすばらしさを再確認することになるとは思わなかったww
この機会を与えてくれたSNKDに感謝ぁ
5/27の下書きからの投稿
思ったこと全部書こうとしたけど、無駄に長くなるので諦めた30日目
grazie